古代、多くの部落と民族が新疆に集まり住んだ
古代において、多くの部落と民族が新疆に集まり住んだことがある。新疆の住民がどの民族に属するかについて、漢代(前206年~220年)から明確な記載があり、当時は主として塞(Sak)人、月氏(Yueh - chih)人、烏孫(Usun)人、羌人、匈奴(Hun)人、漢人があった。
塞人、月氏人、烏孫人、羌人、匈奴人、漢人
匈奴人は主に前176年前後に新疆に入った。漢人はわりに早くから新疆地区に入った民族の一つである。前101年、漢王朝の軍隊ははじめはロンタイ、ロプヌル一帯で農地を開墾したが、後に新疆全域に拡大し、各開墾地は漢人が新疆に入ってから最初に分布する地域となり、前60年に西域都護府が設置されてから、漢人は相次いで役人や軍人や商人になって新疆に入った。
魏・晋・南北朝時、多くの古代民族が新疆に入ってきた
魏・晋・南北朝(220年~589年)時期は中国の民族大融合の時期であり、各民族が頻繁に移動、往来し、また、柔然(Jorjan)、高車、タツ(口へんに達)、吐谷渾など多くの古代民族が新疆に入ってきた。4世紀初めに、遼東(一般に遼河以東地区を指す)から西遷し、徐々にいまの甘南(甘粛南部地区)、四川と青海地区のリオ(中国の古代民族名)、羌などの民族を征服し、政権を樹立した。
隋・唐時期、突厥、吐蕃の活躍
隋(581年~618年)・唐(618年~907年)時期、突厥、吐蕃などの古代民族は新疆の歴史の発展に重要な影響を及ぼした。突厥は6世紀から8世紀にかけて中国の北西部と北部の草原で活躍した古代の遊牧民族であった。吐蕃はチベット族の先祖であり、6世紀末に青海・チベット高原で興起し、青海を占領した後、唐王朝と西域を奪いはじめた。
回鶻人が新疆に入ってきた
840年、多くの回鶻(ウイグル人の古代の呼称)人が新疆に入ってきた。回鶻はもとは回蹊といい、鉄勒(中国の古代民族名)の部族の一つで、最初はセレンガ川とオルホン川流域で生活し、後はトゥラ川の北部に移住した。その時から、タリム盆地の周辺地区はゴーチャン回鶻王国とカラ汗王朝に統治され、現地の住民は西遷してきた回鶻と融け合い、その後のウイグル族の形成のために基礎を築いた。
遼王朝、契丹人が新疆に入った
1124年、遼王朝(916年~1125年)の王族のヨリグ・タシンは部族の人を率いて西遷し、新疆地区を征服して、西遼政権を樹立し、多くの契丹人(中国の古代民族名)がその時から新疆に入ってきた。13世紀初め、ジンギス汗は軍隊を率いて新疆に入ってから、その征服した土地を子孫に分け与えた。回鶻人は一部の契丹人、蒙古人といちだんと同化、融合した。
明代、瓦剌人
瓦剌(Dyrat)は明代(1368年~1644年)に漠西の蒙古に対する総称であり、はじめはエニセー川上流地区に分布していたが、後にたえずイルティシ川中流、イリ川流域に拡がっていった。17世紀初めに、ジュンガル、杜爾伯特(トゥルボテ)、和碩特(ホソーテ)、土爾扈特(トゥルフテ)の四部族が徐々に形成された。1670年代に、ジュンガルはイリ川流域を占拠して、四部族のかしらとなり、新疆南部を統治した。
清朝、多民族が集まり住む新しい枠組み
1760年代以後、清朝(1644年~1911年)政府は新疆の国境警備をいちだんと強化するため、東北地区から陸続と満州、シボ、ソレン(ダオール)など諸民族の将兵を新疆に駐屯させ、彼らは新疆の少数民族の新しいメンバーとなった。その後、ロシア、タタールなどの民族も新疆に移住してきた。19世紀末になると、新疆にはウイグル、漢、カザフ、蒙古、回、キルギス、満州、シボ、タジク、ダオール、ウズベク、タタール、ロシアなど13の民族があり、ウイグル族を主体として、多くの民族が集まり住む新しい分布の枠組みが形成された。
 
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