无标题文档

「東トルキスタン」問題の経緯を説明 新疆白書

2009-11-24 | ソース:

   国務院新聞弁公室は26日、「新疆の歴史と発展」白書を発表した。同白書は「東トルキスタン」問題の経緯について解説している。主な内容は次の通り。

  「トルキスタン」の言葉は、中世アラブの地理学の書物に見られる。意味は「チュルク人の地域」で、中央アジアのチグリス川以北および隣接した東部地区を指している。歴史の発展・変化にともない、18世紀になると「トルキスタン」の地理的概念はかなりあいまいになり、当時の歴史書ではこの言葉はすでにほとんど使われなくなった。19世紀初めには、帝国主義の列強が植民地拡大のため中央アジア地域に深く入り込み、地名としての「トルキスタン」の言葉が再び使われた。1805年、ロシア人のティムコフスキーが使節団派遣報告の中で、中央アジアおよび中国・新疆南部のタリム盆地を「トルキスタン」の名称で表現した。2つの地域の歴史、語源、風習の違いや、政治的帰属の違いから、ティムコフスキーは「トルキスタン」の東部にあたる中国・新疆タリム盆地を「東トルキスタン」あるいは「中国トルキスタン」と呼んだ。

   20世紀初頭以降は、ごく少数の新疆の分裂分子や宗教過激派が、昔の殖民主義者がでっち上げた言い方を根拠に、規範に合わない地名「東トルキスタン」を政治化し、いわゆる「東トルキスタン独立」という「思想理論体系」をねつ造した。「東トルキスタン」は古来1つの独立国家で、民族には1万年近い歴史があり、「人類の歴史上、最も優秀な民族だ」と吹聴。突厥語を使いイスラム教を信仰するあらゆる民族が連合し、1つの「政教一致」の国家をつくるなどと騒ぎたてている。20世紀初めから1940年代末にかけ、「東トルキスタン」勢力は国外の敵対勢力の扇動、支援を受け、何度にもわたって動乱を起こした。新疆の平和解放後、ごく少数の国外に逃れた新疆分裂分子は国内の分裂分子と呼応し、国際的な反中国勢力の支持の下で分裂破壊活動の機会をうかがっている。1990年代以降、宗教過激主義、分裂主義、国際テロ主義の影響を受け、国内外の「東トルキスタン」勢力はテロ、暴力を主な手段として分裂・破壊活動を行うようになった。「東トルキスタン」組織の一部は、テロ活動によって中国分裂の目的を達成すると公言。「東トルキスタン」勢力は、中国・新疆および各国で一連の爆破、暗殺、毒物投与、襲撃などのテロ暴力事件を画策、実行し、中国の民族・国民の生命・財産の安全、社会の安定を著しく脅かし、関係する各国・地域の安全・安定に脅威を与えている。

   米中枢同時テロ事件後、国際的な反テロの戦いや、協力の声が高まり、「東トルキスタン」勢力は苦しい立場から逃れようと、いわゆる「人権」保護、「宗教の自由」、「少数民族の利益」を旗印に掲げ、「中国政府が少数民族を迫害している」などのデマを流し、人々の耳目を惑わし、国際世論を欺き、国際的な反テロの取り締まりから逃れようと画策している。